スーパーバイク世界選手権
スーパーバイク世界選手権(スーパーバイクせかいせんしゅけん、SBK[1]、もしくはWorld Superbike Championship(略称:WSBまたはWSBK))とは、4ストロークの2・3・4気筒エンジン搭載[2]の市販自動二輪車を用い、舗装されたクローズドサーキットで行われるオートバイレースの世界選手権である。
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カテゴリ | オートバイレース |
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国・地域 | 国際 |
開始年 | 1988年 |
チーム | 5 マニファクチャラー (ドゥカティ, BMW, ホンダ, カワサキ, ヤマハ) |
ライダーズ チャンピオン |
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マニュファクチャラーズ チャンピオン |
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公式サイト |
The Official SBK Website |
現在のシーズン |
国際モーターサイクリズム連盟(FIM)が統括している。主催者はかつてはイタリアのFGスポーツであったが、2013年以降はMotoGPも主催するドルナスポーツに取って代わっている。
目次
概要
元AMAライダーのスティーブ・マクラフリンが車種の多様な4ストロークエンジンの市販車を用いたレースとして発案。1988年よりFIM公認の世界選手権として開催されている。ロードレース世界選手権(MotoGP)と異なりレース専用に開発された車両ではなく、市販車をベースとした改造車両で行われる。4輪レースのフォーミュラカー選手権に対するGT選手権に例えられるが、同一サーキットにおけるラップタイムの差は4輪のそれに比べ非常に小さく、条件次第ではMotoGPマシンのラップタイムを凌駕することもある。
世界の主なオートバイメーカーがスーパースポーツカテゴリーの旗艦モデルを投入し、レース参戦から得た技術を競い市販車にフィードバック、ブランドイメージの向上と市場の拡大を目指し切磋琢磨している。
レースは欧州を中心とした世界各国で開催される。近年は年間13ラウンドで行われているが、2020年はCOVID-19の世界的な蔓延により8ラウンドに短縮されて行われた。日本でも開幕初年度からスポーツランドSUGOでも開催されていたが、2004年以降は開催されていない。
レース方式でMotoGPとの差別化が図られているが、中でも最大の違いは1大会につき複数の決勝レースが行われる事である。予選方式にも特徴があり、過去様々な方式が導入された。表彰式では優勝したライダーの国歌と共に優勝車両のマニュファクチャラーの国歌も流される事もスーパーバイク世界選手権の特徴である。
サポートレースとして、600cc級のスーパースポーツ世界選手権、300cc級のスーパースポーツ300世界選手権が併催されている。かつてはスーパーストック1000、スーパーストック600、ヨーロピアンジュニアカップもサポートレースとして併催されていた。
エントラント
ライダー
主に世界各国の国内選手権の上位成績者やロードレース世界選手権からの転向者が参戦しており、近年では国内での市販車改造クラスのレースが盛んなイギリス(ブリティッシュスーパーバイク選手権)からの参戦者の割合が多い。
歴代の最多タイトル獲得ライダーはジョナサン・レイで、2015年の初タイトル獲得から2020年まで前人未到の6連覇を達成、勝利数も2021年開幕戦レース1の勝利で100勝に達し、その後も最多記録を更新中である。タイトル数・勝利数の次点はカール・フォガティで、1994年、1995年、1998年、1999年の計4回のタイトル、通算59勝である。
日本人ライダーもこれまでに計15名超が参戦している(→#主な日本人ライダー)。2020年まで日本人ライダーによるタイトル獲得は達成されておらず、芳賀紀行の年間ランキング2位(2000年、2007年、2009年)が最高位である。2021年はGRTヤマハWSBKジュニアチームより野左根航汰が参戦している。
マニュファクチャラー(メーカー)
スーパーバイク世界選手権でも特に重要な「5マニファクチャラー」とされているのはドゥカティ、BMW、ホンダ、カワサキ、ヤマハである。
2021年シーズンでは、カワサキ(ニンジャZX-10RR)、ドゥカティ(パニガーレV4R)、ヤマハ[3](YZF-R1)、ホンダ(CBR1000RR-R)、BMW(S1000RR)の各社がフル参戦している。かつてはスズキ、アプリリア、MVアグスタ、ビモータ、ビューエル等も参戦していた。参戦メーカーは世界的な景気動向や他の選手権への注力、倒産などにより度々変動している。
マニュファクチャラータイトルの獲得数は、全シーズンを通してはドゥカティが1位だが、最近の数字としては、2015年以降カワサキが連続して1位である。ドゥカティが2020年までの33シーズン中17回を獲得したが、2002年までのレギュレーションは明らかにドゥカティが走らせていた2気筒車両に有利なもので、17回中11回は2002年以前に獲得したものである。2003年以降車両レギュレーションが大幅に変更されるとドゥカティの支配に陰りが見え始め、2011年を最後にタイトルから遠ざかっている。カワサキは6回獲得しており、2015年以降6連覇中である。
- 各マニファクチャラーの車体とライダーのイメージ(2007年の例)
タイヤ
2003年まではミシュラン、ダンロップ等複数のタイヤメーカーが参戦していたが、2004年からタイヤがワンメイク化され、以後現在に至るまでピレリ一社が供給している。
選手権の概要
決勝レースの着順に応じたポイントの合計により、ライダー、マニュファクチャラーの年間タイトルを競う。マニュファクチャラータイトルは各レースにおける同一メーカー最高位ライダーのポイントの年間合計により競われる。
ポイントシステム
着順 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
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得点 | 25 | 20 | 16 | 13 | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
着順 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
得点 | 12 | 9 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
予選
「スーパーポール」の呼称が使用されているが、その内容は開催時期により大きく異る。
現行(2019年-)
スーパーポールは全車同時走行で行われる一般的な計時予選である。土曜午前のスーパーポールセッションにおけるラップタイムにより、土曜午後に行うレース1のグリッドを決定、日曜午前に行う10周のスーパーポールレースの着順により日曜午後のレース2のグリッドを決定する。スーパーポールレースのグリッドはレース1のグリッドと共通である。
過去の予選方式
-2008年
決勝前々日(金曜)の午後と前日(土曜)の午前に計時予選を行い、下位のグリッドはこの2つの予選で決定された。予選上位のライダーは決勝前日午後のスーパーポールに進出、最終的なグリッドはこのセッションでのタイムにより決定、予選結果は2つのレース両方のグリッドに適用された。
当時のスーパーポールは鈴鹿8時間耐久レースの予選スペシャルステージ(現在のトップ10トライアル)同様、1台ずつのタイムアタックであった。他者に邪魔されない純粋なラップタイムを競うため好評だったが進行に時間がかかり、セッション中の天候の変化が公平を欠くなどの問題もあった。
2009年-2013年
スーパーポールはノックアウト方式に改められた。3セッション(ウエット宣言された場合は2セッション)で行われ、SP1、SP2でそれぞれ下位4台(2013年は3台)が脱落、SP3は8台(2013年は9台)で競われた。このスーパーポールにはライダー毎に2本の予選タイヤが供給された。予選タイヤはわずか1-2周しか保たないがレースタイヤより遥かに高いグリップ力を発揮するため、大幅なラップタイムを短縮できる。この2本の予選タイヤを3つのセッションにどう割り当てるかといった戦略も当時のスーパーポールの見所の一つであった。現在のスーパーポールでも予選タイヤは使用されているが、単純にタイムアタックのために使用されており、当時の様な戦略性は失われている。
2014年-2018年
2014年、参戦台数確保のために導入されたEvoクラスのTV放送における露出を確保することを目的にMotoGPと同じ予選方法が導入された。
金曜・土曜の予選セッションは廃止(フリー走行に変更)され、予選はSP1・SP2、2つのセッションに集約された。フリー走行のラップタイム上位10名にはSP2の進出権が与えられ、11位以降のライダーはSP1を走行、SP1の上位2名にもSP2への進出権が与えられた。SP1で3位以降のライダーは13位以降でグリッド確定、SP2の結果によりポールポジションから12位までのグリッドが確定した。
2016年まで、予選結果は2つのレース両方のグリッドに適用されていた。
2017年・2018年はスーパーポールの結果はレース1のグリッドにのみ適用され、レース2のグリッドはレース1の着順により決定する、変則リバースグリッドが採用されていた。
決勝
現在は1ラウンドに付き3レース制で、土曜午後にレース1、日曜午前にスーパーポールレース、午後にレース2を行う。
2018年まではレース1・レース2の2レース制で行われていた。2015年までは両レース共に日曜に行われており、当時はレース2を控えているためレース1の表彰式ではシャンパンファイトは行われなかった。2016年以降、レース1を土曜、レース2を日曜に行うよう改められ、以降両レース共に表彰台でのシャンパンファイトが行われるようになった。スーパーポールレースが導入されたのは2019年からで、スーパーポールレースはレース2の予選を兼ねている。スーパーポールレースの表彰式は略式で表彰台のセレモニーは省略されているが、公式記録上3位以内のライダーは表彰台獲得者として記録されている。
参戦車両
出場できる車両は、市販されている2・3・4気筒の自然吸気4ストロークエンジンの自動二輪車。あくまでも市販車改造のレースであり、レースに特化した少数生産のプロトタイプ車両の参戦を規制するため150台以上を製造・販売する事がホモロゲーション取得の条件となっており、参戦コストの高騰を防ぐため車両価格にも上限(40,000ユーロ)が設定されている。参戦車両の多様性と性能の均衡を両立させるため気筒数に応じた排気量上限が設けられており、改造範囲は厳しく制限されている。2018年から参戦車両毎にカタログスペックを基準とする回転数上限が設けられた。
車両レギュレーションは市販車両の市場動向、景気の影響などにより過去何度も見直されている。
現行の車両レギュレーション[4]
排気量上限は4気筒および3気筒は1,000cc、2気筒は1,200cc。最低重量168kg。エンジン部品の変更はカムシャフトのみ認められている。エンジンは年間の開催ラウンド数の半分(端数切り上げ)の基数のみ使用可能であり、これを上回る数のエンジンの使用はペナルティの対象となる。
参戦車両毎にエンジンの回転数上限が設定されている。これは「カタログスペックにおける最高出力発生時の回転数+1,100rpm」又は「市販車両をダイナモメーターに掛けた際の3速と4速のレブリミット平均の103%」のいずれか低い方とされており、シーズン開始までにFIMによって決定される。戦力の均衡を図るために3大会毎に見直しが行われ、250rpm単位でシーズン中突出した成績を収めた車種に対しては引き下げ、成績の振るわないメーカーの車両に対しては引き上げられる。
この回転数上限は接戦の演出を目的に恣意的とも取れる設定がされることもある。特に近年支配的な立場にあるカワサキが狙い撃ちにされており、2018年、ニンジャZX-10RRの回転数上限は規定よりも更に低い、14,100rpmとされていた。また、2021年型ニンジャZX-10RRには軽量ピストンが採用され、カタログ上最高出力発生回転数が従来型より400rpm引き上げられたが、FIMは変更された部品が少ないことを理由にこれを新しいエンジンとは認めず、最高回転数は据え置かれた。
参戦車両の最高回転数(開幕時)
太字は新型車両 |
車体に関しては基本構造や外観の大幅な変更は禁止されているが、フレームの補強、フロントフォークやスイングアームの変更は認められている。ブレーキシステムの変更は認められているがカーボン製ブレーキディスクの使用は禁止されている。ウイングレットについては市販状態で装着されていない車両への後付は認められない。
参戦コストの削減と戦力の均衡を目的として主要部品は公認制で価格の上限が定められており、ワークスチームが使用する部品と同じ物はプライベーターでも使用可能である。これによりワークス車両とプライベーター車両はハードウエアとして同等となりうるが、ECUにはプライベーターでは操作できない設定項目があるなどにより必ずしもワークス車両と同じ性能を得られるわけではない。
2015年以降エンジンの改造範囲が大幅に縮小されたこと、2018年にエンジン回転数上限が導入されたことにより、参戦に使用する市販車両の性能が以前にも増して重視されることとなった。2019年、ドゥカティが伝統の2気筒から4気筒へ転向、ライバル車両を大きく上回る最高回転数・最高出力を発揮するパニガーレV4Rを投入したことをきっかけに1,000ccクラスのスーパースポーツ車両の性能競争が激化している。
歴史
1988年-2002年
排気量上限は4気筒は750cc、3気筒は900cc、2気筒は1,000ccと定められていた。同一排気量であれば気筒数が多い方が高回転・高出力化には有利であり、異なる気筒数間の性能を均一化するため気筒数が少ないほど排気量上限が大きく設定されていた。
選手権が始まった1988年当時、国産4社(ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ)が激しい性能競争を繰り広げていた4気筒車両に対し、実質ドゥカティ1社の2気筒車両はエンジン性能において不利と考えられており、競争力確保のため当初2気筒車両には4気筒車両より軽い最低重量が適用されていた。
当時の国産4気筒車両の排気量は皆上限の750ccに達していたが、2気筒車両であるドゥカティの参戦車両851の排気量は851ccと上限に達していないものであった。
開催初年度の1988年から2年連続でホンダのフレッド・マーケルがライダータイトルを、1990年までの3年連続でホンダが750cc4気筒のRC30でマニュファクチャラータイトルを獲得したが、ドゥカティは3年目の1990年に排気量を888ccに拡大した851SP2を投入しレイモン・ロッシュがライダータイトルを獲得、翌1991年にも888でダグ・ポーレンがライダータイトルを獲得するとともに初のマニュファクチャラータイトルを獲得、以後毎年のようにライダー・マニュファクチャラー両タイトルを獲得していった。ドゥカティは参戦車両のモデルチェンジの度に排気量を拡大、1995年の916CORSA(996cc)でほぼ上限に達する頃には国産4社を圧倒していた。この間、1993年にカワサキのスコット・ラッセルがライダータイトルを獲得しているが、マニュファクチャラータイトルはドゥカティが1996年まで6年連続で獲得している。
1997年にホンダとジョン・コシンスキーがライダー・マニュファクチャラー両タイトルを獲得、ドゥカティに一矢報いたものの、ホンダはこの先750cc4気筒では1,000cc2気筒に勝てないと判断し2000年以降1,000ccV型2気筒のVTR1000SPを投入、その結果コーリン・エドワーズが2000年と2002年、2度のライダータイトルを獲得したが、参戦台数が少なかったこともありマニュファクチャラータイトルは未獲得に終わっている。
この時期、スズキも2気筒車両への転向を模索しており1998年にTL1000Rを発売、実戦投入には至らなかったものの、後にビモータがこのエンジンをSB8に採用、2000年シーズンに1勝を挙げている。
2000年、ヤマハ・YZF-R7を駆る芳賀紀行がエドワーズと年間王者を争ったが(年間2位)、4気筒車両が2気筒車両と互角の戦いをしたのはこのシーズンが最後であり、翌2001年、4気筒車両は全26レース中わずか1勝のみに終わり、もはや2気筒の有利は決定的なものであった。
当時、国産4社のスーパースポーツの主力モデルは900cc-1,000ccの4気筒車両に移っており、750cc4気筒のスーパースポーツ車両はレースのためだけに販売されている状態になりつつあった。市場が縮小している750cc車両で2気筒優遇レギュレーションの勝てないレースをしても市販車の販促にはつながらず、国産4社は2002年から4ストローク化されるロードレース世界選手権(MotoGP)に注力することを選択、スーパーバイク世界選手権への関与は大幅に縮小されていった。
2002年、4気筒車両の最低重量を2気筒車両よりも5kg軽くするレギュレーション変更が行われたが[5]、ついに4気筒勢の表彰台は皆無となった。
本レギュレーション下で行われた15年間のマニュファクチャラータイトル獲得数は2気筒のドゥカティ11回に対し4気筒のホンダ4回、ライダータイトルにおいても2気筒車両によるもの11回に対し、4気筒車両によるもの4回と2気筒勢が圧倒しており、2気筒車両の優位は明らかだった。当時のスーパーバイク世界選手権はイタリアのFGスポーツが運営しており、同じイタリア企業のドゥカティを優遇していたとの見方も強い。
2003年-2007年
2003年、4気筒車両の最大排気量が1,000ccに引き上げられた。
ヤマハ・YZF-R1やスズキ・GSX-R1000といった日本製1,000cc4気筒スーパースポーツ車の市場拡大は無視できないものとなっており、これらの車両の参戦を認めることは国産メーカーの目を再びスーパーバイク世界選手権に向けさせ参加車両の多様性を確保するためにも避けられないものであった。
2003年はホンダとアプリリアがワークス・チームを撤退させたこともあり全レースでドゥカティが優勝、「ドゥカティカップ」と揶揄されたほどであったが、国内メーカーで唯一ワークス参戦を続けていたスズキがGSX-R1000で複数回の表彰台を獲得している。また、かつての王者カール・フォガティがペトロナスと組んで自らのチームを立ち上げ、900cc3気筒マシン、ペトロナスFP1で参戦した(2006年限りで撤退)。
この年、FIMとFGスポーツより、翌2004年シーズンからタイヤをワンメイク化、ピレリが供給することが発表された。この決定は他のタイヤメーカーや車両メーカーへの事前通告なく行われたもので、国産4社はこれに強く反対したが決定は覆らず、2004年以降の不参加を表明した。
2004年、各方面の反対を押し切りタイヤのワンメイク化が導入された。この年、ホンダがCBR-1000RRを、カワサキがニンジャZX-10Rを発売、国産4社の1,000ccスーパースポーツが出揃ったが、国産4社は強引なタイヤワンメイク化導入に反対し不参加を表明していたため、国産車両での参戦は欧州のプライベーターが独自に行なった。
この年より、前年までスポーツランドSUGOで行われていた日本ラウンドが開催されなくなった。これはFGスポーツによる国産4社不参加への報復だったとも言われているが、元々日本ラウンドは集客に難があり、国産4社の不参加は開催地から外すという判断のきっかけに過ぎないとの見方もある。
この年のタイトルはドゥカティのジェームズ・トースランドが獲得したが、テンケイト・ホンダのクリス・バーミューレンが4勝を上げる活躍を見せている。プライベーター参戦ながら1,000cc4気筒車両には十分な戦闘力があり、タイヤのワンメイク化も戦力の均衡に寄与しドゥカティ一強の状態は是正されつつあった。国産4社は翌年以降プライベーターへのサポートを強化、スズキとヤマハは準ワークス体制となった。2005年にはスズキのトロイ・コーサーが年間タイトルを獲得、スズキにとっても初のマニュファクチャラータイトルをもたらした、2007年にはホンダのジェームス・トスランドが年間タイトルを獲得したが、マニュファクチャラータイトルはヤマハが獲得した。
ドゥカティはこの時期を999で参戦、2003年、2004年、2006年のタイトルを獲得していたが、レースでの活躍に反し999の販売は思わしいものではなかった。ドゥカティは2007年に999の後継車両として排気量1,099ccの1098を発売、人気車種となり販売も好調だったが、スーパーバイク世界選手権には使用できないため150台限定生産の999Rで参戦した。ドゥカティは高回転・高出力化に不利な2気筒が4気筒と同じ排気量であることに異議を唱え、2気筒車両の排気量を拡大するようレギュレーション改定を訴えていた。
2008年-2014年
2008年、ドゥカティのロビー活動が実を結び、2気筒車両の最大排気量が1,200ccに引き上げられた。排気量の拡大が認められた代わりに1,200cc車両の改造範囲は縮小、最低重量は1,000cc車両よりも重く設定され、吸気リストリクターの装着が義務付けられていた。合わせてシーズン中の性能調整が導入され、4気筒勢との成績の差に応じた最低重量の増減、吸気リストリクターの内径変更による吸気量調整を行うことになっていた。
2008年はドゥカティ・1098を駆るトロイ・ベイリスが自身3度目のタイトルを獲得している。
2009年よりBMWがS1000RRでワークス参戦を開始、また、2003年以降撤退していたアプリリアもV型4気筒のRSV4で復帰した。この年ヤマハのベン・スピーズがライダータイトルを獲得、ヤマハも初のマニュファクチャラータイトルを獲得している。
この頃から世界同時不況の影響により、参戦台数は減少へと向かうこととなる。ヤマハはMotoGPへの注力のため2011年限りで一時撤退した(2016年に復帰)。一方、カワサキはモータースポーツ活動の主戦場を撤退したMotoGPからスーパーバイク世界選手権に変更、2009年よりワークス体制となった。
2011年、ドゥカティはMotoGPへ注力するためワークス参戦を中止、プライベーターのみの参戦となったが、この年のタイトルはアルテア・ドゥカティチームのカルロス・チェカが獲得した。ドゥカティは2013年にワークス参戦を再開したものの、2020年現在これが最後のタイトル獲得となっている。
この時期最も成功したマニュファクチャラーはアプリリアで、マックス・ビアッジ(2010年、2012年)とシルヴァン・ギュントーリ(2014年)が計3回のライダータイトルを獲得、マニュファクチャラータイトルも4度獲得(2010年、2012-2014年)している。アプリリアは当初、RSV4のカムシャフトの駆動機構を市販状態のチェーンからカムギアトレーンに変更して参戦していたが、2011年以降、レギュレーション変更によりカムシャフトの駆動方式は市販車両から変更不可となった。
2012年、コストを削減し参戦台数を確保する事を目的として、使用できる車両はライダー1人に付き1台のみ、予備車両のピットへの持ち込みが禁止された。
2013年、カワサキニンジャZX-10Rを駆るトム・サイクスがライダータイトルを獲得、1993年以来、20年ぶりにカワサキにタイトルをもたらした。この年を最後にBMWはワークス参戦を停止、以後プライベーターへのサポートのみ行っていたが、2019年にワークス参戦を再開している。
2014年、参戦台数の減少は深刻であり、これに歯止めをかけるためさらなる方策としてエンジンの年間使用基数制限(8基)、ギヤボックスのギヤ比は年間2種類のみ使用可能とされ、さらにエンジン無改造のEvoクラスがこの年限りで導入された。カワサキはこのEvoクラスにもワークス参戦、ダビド・サロムがクラスタイトルを獲得した。EvoクラスにはビモータがBMW・S1000RRのエンジンを独自のフレームに搭載したBB3で参戦、カワサキ、ドゥカティとEvoクラスの覇を競ったが車両生産数がホモロゲーション取得に必要な台数を満たさなかったため、全戦失格となった。
2015年-2017年
2015年、参戦コストのさらなる削減を目的に改造範囲が大幅に狭められた。改造範囲は2気筒・4気筒共通となり、これまで許可されていた4気筒車両でのピストン、コンロッドの変更は禁止され、変更が許される主なエンジン部品は実質カムシャフトのみとなった。最低重量も2気筒・4気筒共通となり、性能調整は吸気リストリクターのみで行われることとなった。また、ECUに価格上限が設定され、プライベーターでも希望すればワークスチームと同じ物が使用可能となった。シーズン中変速機のギヤ比は変更不可となり、エンジンの年間使用基数は7基となった。ホイールサイズは17インチに統一された。外観上の大きな変更として、市販車レースであることのアピール強化のためカウリングにダミーヘッドライトのグラフィックを施す事が義務付けられた。
この年、ホンダからカワサキに移籍したジョナサン・レイが初タイトルを獲得、カワサキも初のマニュファクチャラータイトルを獲得した。以後、カワサキとレイは2020年現在6年連続で両タイトルを獲得している。
アプリリアはMotoGPへ復帰するため2015年限りでワークス参戦を停止、2016年以降はプライベーターのみが参戦している。
スズキもMotoGPへの注力のため、2015年限りでスーパーバイク世界選手権への参戦を停止している。
2016年、ヤマハがワークス体制で復帰した。
2017年、スロットルボディを市販状態から変更することが禁止された。これにより、市販状態でライド・バイ・ワイヤを採用していない車種を部品交換によりライド・バイ・ワイヤ化することができなくなった。
この年、レース2のグリッドに、レース1の表彰台に立ったライダーが3列目スタートとなる変則リバースグリッドが導入された。レース1とレース2の展開が似通ったものになることを防ぎ、レースの見所であるオーバーテイクを多くするためとされたが、すでに2連覇を遂げていたレイとカワサキのさらなる連覇を防ぐ目的があったとも言われている。だが、オーバーテイクを得意とするレイにとってこれは大きなハンデとはならず、むしろライバル勢に不利な展開となることも少なくなく、ジョナサン・レイとカワサキがタイトルを獲得、3連覇を達成した。
2018年-
2018年、コストの削減と戦力の均一化を図るため、主要部品の認証制及び上限価格の設定、コンセッションポイント制が導入された。また、車種間の性能バランスを取るための方法として従来の吸気リストリクターを廃止、車種毎の回転数制限が導入された。ドルナとFIMは3連覇中のジョナサン・レイとカワサキの戦力が突出していると判断、接戦を演出するためカワサキ・ニンジャZX-10RRの最高回転数は本来の数値より600rpm低い14,100rpmと定められた。このハンディキャップを課せられたにもかかわらずレイとカワサキはタイトルを獲得、4連覇となった。
2019年、カワサキはエンジンに改良を加えた新型ニンジャZX-10RRを投入、新型車両のため昨年のように規定よりも露骨に低い回転数上限を適用されることはなく、最高回転数は14,600rpmとされた。ドゥカティはタイトル奪還のために伝統の2気筒から4気筒に転向、カタログ値221ps/15,250rpmと従来の市販車の常識を超えた最高回転数と最高出力のパニガーレV4Rを投入した。適用された最高回転数は16,350rpmと突出しており、レースにおいてもライバル車両を圧倒する動力性能を発揮、この年MotoGPから転向したアルバロ・バウティスタのライディングとの相性も良好で、途中性能調整により最高回転数を250rpm減じられたものの開幕から11連勝とレイをも圧倒する速さを見せた。これでついにレイの連覇にピリオドが打たれるかと思われたが、バウティスタはシーズン中盤より転倒するレースが目立ち始め、自滅する形でポイントリーダーの座から転落してしまった。中盤以降はV4R対策を練り上げたカワサキとレイが連勝を重ね5連覇を達成、バウティスタは年間2位に終わり、ドゥカティは2011年以来のタイトル奪回を果たせなかった。
2020年、COVID-19の世界的な蔓延により第2戦以降のカレンダーは再編され、当初予定されていた全13戦から全8戦へと大幅に短縮されたシーズンとなった。タイトルはライダー、マニュファクチャラー共にレイとカワサキが6連覇を達成したが、2年目で熟成の進んだパニガーレV4Rの前に苦戦を強いられる事も多く、マニュファクチャラータイトルは2位のドゥカティとわずか1ポイント差と僅差であった。
この年ホンダは2002年以来、18年ぶりにワークスチームを復活させた。前年ドゥカティでレイを圧倒する走りを見せたバウティスタをチームに招き、完全新設計の新型CBR1000RR-Rを投入したが表彰台はバウティスタの3位1回に留まりあまり目立つ成績を上げることは出来なかった。
歴代チャンピオン
主な日本人ライダー
- 今シーズン
- 野左根航汰 2021年(ヤマハ)
歴代
- 2013年シーズンから2018年シーズンまでエントリーしている日本人ライダーはいない。
- 青山博一 2012年(ホンダ)
- 芳賀紀行 1998年 - 2000年(ヤマハ)、2002年(アプリリア)、2004年(ドゥカティ)、2005年 - 2008年(ヤマハ)、2009年 - 2010年(ドゥカティ)、2011年(アプリリア)
- 玉田誠 2008年 - 2009年(カワサキ)、2010年(BMW)、2011年(ホンダ)
- 加賀山就臣 2005年 - 2009年(スズキ)
- 中野真矢 2009年(アプリリア)
- 中冨伸一 2006年 - 2008年(ヤマハ)
- 青山周平 2008年(ホンダ)
- 阿部典史 2005年 - 2006年(ヤマハ)
- 井筒仁康 2002年(カワサキ)
- 柳川明 1997年 - 2001年(カワサキ)
- 岡田忠之 2001年(ホンダ)
- 藤原克昭 1999年 - 2000年(スズキ)
- 青木治親 2000年(ドゥカティ)
- 吉川和多留 1996年(ヤマハ)
- 永井康友 1995年(ヤマハ)
脚注
- ^ 『Road Racing FIM Superbike & Supersport World Championships and FIM Superstock Cup Regulations 2009[1]
』(Covering 1、1/176)より。
- ^ 『Road Racing FIM Superbike & Supersport World Championships and FIM Superstock Cup Regulations 2009[2]
』「1.9.1 Classes will be for the following categories:」(p14、18/176)より。
- ^ 「ヤマハ・ワールド・スーパーバイク・チーム」2011年シーズン末で活動を休止
ヤマハ発動機 2011年8月1日付・2016 スーパーバイク世界選手権への復帰を正式に決定
ヤマハ発動機レースリリース・2015年9月23日 - ヤマハは2011年シーズンをもって一時撤退したが、2016年シリーズより復帰。
- ^ Durbin, R. P. (1975-12). “Letter: Acid secretion by gastric mucous membrane”
. The American Journal of Physiology 229 (6): 1726. doi:10.1152/ajplegacy.1975.229.6.1726
. ISSN 0002-9513
. PMID 2020
.
- ^ “World Superbike Weight Advantage For Fours, Triples In 2002
” (英語). Roadracing World Magazine | Motorcycle Riding, Racing & Tech News (2001年10月16日). 2020年10月22日閲覧。
- ^ 2019年Honda二輪モータースポーツ活動計画
Honda ニュースリリース 2018年11月7日
関連項目
- スーパースポーツ世界選手権(併催・SBKの下位クラスにあたる)
- スーパースポーツ300世界選手権(ヨーロッパラウンドのみ開催・SSPの下位クラスにあたる)
外部リンク
- スーパーバイク世界選手権公式サイト
- gruppofg.com
FGSport, Superbike World Championship promoters website
- [3]
Superbike Photos (Creative Commons License)
- FIMの公式発表
- レギュレーション - 2020 FIM Superbike, Supersport & Supersport300 World Championships Regulations (update 17 August)
- レース・スケジュール - Calendar、「Events」
- ライダーとメーカーのポイントランキング - Pilots ranking/Manufacturers、「Classifications」
- ライダーとメーカーの世界チャンピオンリスト - Pilots/Manufacturers、「World champions」
- ニュース(MotoGPも含む)- 「News」
- レギュレーション - 2020 FIM Superbike, Supersport & Supersport300 World Championships Regulations (update 17 August)
ソース
情報の状況: 22.07.2021 01:57:56 CEST
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