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吉田甲子太郎



吉田 甲子太郎(よしだ きねたろう、1894年明治27年)3月23日 - 1957年昭和32年)1月8日)は、日本翻訳家英文学者児童文学者。筆名に朝日壮吉吉田夏村などがある。

1948年時の近影(アサヒグラフより)

目次


略歴

群馬県生まれ。早稲田大学英文科卒。在学中より山本有三に師事。朝日壮吉などの筆名を用い、中学教師のかたわら、『新青年』などに探偵小説を翻訳するが、1927年ころから児童文学に移行し、少年小説を書く。1932年、新設された明治大学文藝科で、科長となった山本の推薦で教授となる。戦後は明大文学部文学科長を務め、児童雑誌『銀河』の編集にも携わる。1947年、雑誌『少年』に『星野君の二塁打』を発表、1950年代から小学校の国語の教科書に、1970年代から道徳の副読本で、2018年道徳が教科になったのちも、規則の尊重、集団生活の充実というテーマで一部教科書でつかわれている。

1957年1月8日、胃癌のため死去、享年62歳[1]。1月14日、明治大学記念館で文学部葬が行われる[2]


親族

弁護士で明大理事長の吉田三市郎(1878-1953)は兄。


著書

単著

編集

翻訳


脚注

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  1. ^ 「吉田甲子太郎氏(明大文学部長)」『朝日新聞』、1957年1月9日、3面。
  2. ^ 「吉田甲子太郎氏(明大文学部長)」『読売新聞』、1957年1月9日、5面。

外部リンク





ソース


情報の状況: 19.07.2021 02:23:32 CEST

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